23歳の時の決断
さて、1992年23歳の私は、親の猛反対を押し切り、オーストラリアに残る決断をしました。
遠距離恋愛中のゴールドコーストに住む彼(現夫)には英語で文通などをしながら、いろいろ相談に乗ってもらいました。週末に、車で15時間かけてわずか4,5時間会うためにキャンベラまで来てくれたこともありました。
オーストラリアに残って勉強をすることを決めた私に、彼は、“英語を勉強するのではなく、英語で何かを勉強するべきだ” と薦めてくれました。
もし英語が上達したい!と思ってる方がいたら、これ本当ですよ~。英語を勉強しているうちは絶対なっとくがいく英語力は得られません。よくいわれることですが、言語はツールなので、ツールは使ってナンボなんですね。
ということで、ファイナンス、会計に興味があった私はキャンベラTAFEのアカウンティングコースに通うため、必死で勉強し IELTS のスコアをクリアしました。(ここだけの話ですが、スピーキングのテストにとても恐怖を抱いていた私は、試験 30分前にワインを一杯ひっかけて臨みました。それが功を成したのか、テストの間中、話が途切れることはありませんでしたよ)
晴れて、新学期からキャンベラTAFE の会計学コースに通うことになった私でしたが、新学期まで3,4ヶ月あるし、生活費も稼がねばということで、アルバイトならゴールドコーストだ!と秋深まり枯葉散るさみしいキャンベラ からまだ夏を思わせる青空のゴールドコースト
へとやってきたのでした。
| 固定リンク
「経歴」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント