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2009年3月16日 (月)

私と父

私の自慢の父は昨年80歳になりました。誕生日に合わせ帰国することはできませんでしたが、昨年12月にちょこっと一人で帰国し、久しぶりに姉家族と両親と私とでささやかなお祝いをすることができました。

なぜ自慢の父かというと、80歳にして車を乗り回し、75歳からパソコンに挑戦してメール交換をしたり、自営の仕事もまだまだ現役です。昔からの職業病で背骨が右に湾曲し、ちょっぴり歩き方がかわいらしくなりましたが、いつも前向きで元気な父です。

その父が腰の痛みに悩まされ、歩くことも不自由になってきています。しばらくは杖がないと歩けないほどだったようです。医者から仕事も禁止、と言われ、運転にも自信がなくなってきているようです。

本人が一番つらいでしょう。でも電話では、“痛くってさ~、参っちゃうよ~。”と言いながらも声は笑っています。

父は中学も卒業せずに志願兵となり16歳で台湾へ出兵した人です。彼の部隊の半分は沖縄へ派兵されほとんど戻った人はいないそうです。幸運にも出兵後すぐ終戦を迎えたため無事に戻ってきましたが、浅草の実家は空襲で跡形もなく、その後祖母を抱えて苦労をしたようです。

きちんとした教育を受けることができなかったのが残念だとよく言っていましたが歴史好き、読書好きの彼の読書量は半端ではなく、その辺のサラリーマンのお父さんと比べても知識人でした。

私が中学生のころには、父親とは口もきかない、顔を見たくもないという同級生もいましたが、私にとっては友達みたいな身近な父でした。私が好きなアーティストの情報を見つけると喜んで報告してくれたり、夜遅くに洋楽のヒットチャートを紹介する番組などを一緒に見たりしました。小さいころから映画の楽しみを教えてくれたのも父でした。中学生になっても、高校生になっても父と2人で映画を見に行ったりしたものです。時には、見たい映画が異なり、それぞれの映画を見てから待ち合わせして、新宿タカノ、フルーツパーラーでお茶する決まりでした。

父は浅草生まれの浅草育ち、若い頃の写真にジェームスディーンのように気取った写真があったり、おしゃれで粋な人でした。埼玉に産まれた私を芋娘だと馬鹿にしつつも、浅草や新宿などたくさんのところに連れて行ってくれました。今でも早いペースでさっさと歩く、父の颯爽とした後姿が目に浮かびます。

そんな父がすっかり歳を取ってしまいました。オーストラリアへ来たことを後悔してはいませんが、会いたいときにすぐ会えないもどかしさがあります。ちょこっと顔を出して元気付けてあげられたら、、、と思わずにはいられません。

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