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2011年3月25日 (金)

今日も重いかも、、、

今週も狂気の忙しさ!

次女の術後の診察のためにブリスベンで一日費やし、新規ミーティング3件、一社の決算処理を終わらせ、妙に多いお問い合わせに対する返答。ボケボケしている間に3月BAS期に突入してしまいそう、、、

話は変わりますが、、、今日は感情の波に揉まれました。話が重いので、嫌な人は読むべからず。の死生観ですので、批判、非難、ご遠慮ください。

午前中の決算処理終了のミーティングにて、まさかのお客様の癌宣言。私と同年代、3人のお子さんがいらっしゃいます。
うるうるしながら私が思うところ、をお話しましたが、ショックな宣告を通り抜け覚悟ができた方に対して、適当な意見だったのかどうか、、、、分かりません。自分でも何をお伝えしたかったのか、よく分かっていませんでしたし。

私の考えは、少し偏っているかもしれません。
何もできずに夫を失った自分をかばうための考えなのかもしれません。

人間の時計は、いつ止まるか、誰にも分かりません。
30年後かもしれないし、24時間後かもしれない。
後30年生きると思って過ごす明日一日と、最後の24時間と思って過ごす一日と、、、過ごし方は大きく違うでしょ?

若くて健康で、どんなに自信があっても、時計はもうすぐ止まるかもしれない。
病気がちで、明るい未来なんか想像できなくても、あと30年時計は動き続けるかもしれない。

誰にも分からない。
これはもう私達のコントロールを超えた宇宙の定めなのだ、と思うのです。
どんなに規則正しく、よい食事をして、よい行いをしていたって、その時はふいに訪れます。

しかし、人はみな理由を探したがります。
どうして?って。

納得したいんですよね。

運動不足だったんだね。
とか、
精神的に弱かったんだね。
とか、
遺伝だったんだね。
とか、
不運だったね。
とか。

私は、そんな小さな小さな自己満足なんかはいらない、と思っている。
理由なんていうのは、生きている人の自己満足のためのこじ付けで、この世には、私達のコントロールをはるかに超えた力があるのだと思う。

その時は、その時、なんです。
誰にでもその時が来る。

だから私は常にいつ時計が止まってもいいように生きたい、と思う。

(早く止まって夫と一緒になりたいな~と思っていることは内緒!)

明日止まっても、後悔は無かったと言いたい。だから、仕事も一生懸命するけれど、子供とも真剣に向き合う、今日できることはしてあげる(甘やかすという意味ではなくね)、会いたい人には会う、読みたい本は読む、意味の無い付き合いはしない。

だからそのお客様にも、そんな風にお子さん達や奥様との幸せを実感しながら過ごして欲しいな、なんて思ったのですが、うまく伝えられませんでした。もちろん彼には彼の決意と生き方があるでしょうしね。

医療専門家はみんな、ひとが安らかに、尊厳をもって死ねるようにするのではなく、ひとを生かしておくように訓練されている。

医師や看護士にとって、死は失敗なのだ。友人や親戚にとって、死は災いだ。ただ、魂にとってだけ死は救い、解放だ。

死にゆく者への最大の贈り物は、安らかに死なせてやることだ。“がんばれ” とか、苦しみつづけろだの、本人にとっての人生最大の転機に、まわりのことを心配しろだのと要求しないほうがいい。

まだ生きると言い、まだ生きられると信じていると言うひと、生きたいと願っているひとでさえ、魂のレベルでは、“気が変わっている” ことがしばしばある。魂が身体を捨てて自由になり、べつの探求の旅に出るときがきた、と決意したら、身体が何をしても決意をひるがえすことができない。精神が何を考えても、変えることはできない。死ぬときに、身体と心と魂のうちのどれもがものごとを動かしているのがわかる。

ニール、ドナルドウォルシュ “神との対話” より

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コメント

私も愛子さんと同じ気持ちです。
夫を突然失って、わかった事でした.

私もヘビーな気持ちを抱えたままです。

今回の大災害で、大事な愛する方を失った方々を思うと、自分と同じだな.....って思います。
その日、そのときまで、未来を信じて、夫と共に生きる時間を創っていたのに、パッと消えてしまい、深い絶望と悲しみのブラックホールに、
いきなり突き落とされた感じです。
...今はそこからどうしたら出る事ができるかの、暗中模索状態ですが..

出張先での原因不明の突然死。どう心に納得をさせたらよいかしら??

以前愛子さんが書いていらした、受け入れる事。これしかない気がします。

人間て、哀しい.......

投稿: 笛吹 | 2011年3月25日 (金) 22時11分

Aikoさん、こんばんは!

私の死生観を、上手に言葉にすることは出来ないけど、
毎日を生きる上での、座右の銘のようなものがあります。

「あなたが無駄に生きた今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたかった明日である。」

無気力や投げやりになりそうな日は、この言葉を胸の中で唱えます。
私が生きる今日は、夫が生きられなかった明日なのだ…そう思い直します。

どんな生き方が正しくて、どんな生き方が間違いなのか
そんなことは誰にも確定することは出来なくて…
ただ、私が死ぬ時…反省はあっても後悔しないなら、それでいい。
なんて、思ってます^^;

何年経っても大切な人を喪った悲しみは消えなくて。
…っていうか、心に深く負った傷がキレイに無くなるなんてことは無くて。
ただ、その傷を優しく撫でて、痛まぬように癒えるように…
そうして生きていくことは出来るし、自分の傷を癒して生きるのも
大切なことなんだから…

…ごめんなさい、とりとめが無いですね。
自分の思いを顕すのが下手です。

自分を癒すことと、毎日を懸命に生きること。
それが、とても難しい時もあるけれど、とても大切なことだと
思いながら、私は生きています。

Aikoさん、笛吹さん。上手に言えないけれど、離れていても、一緒に頑張って生きましょうね^^

投稿: moko. | 2011年3月26日 (土) 22時35分

笛吹さん

突然、未来と夢を奪われるというのは、例えようのない悲しみです。
私もまだそんなに上手に受け入れているわけではないですが、そうすることが、自分にとって、自分を解放することだと分かったような気はします。(なんとなく、、、状態です)

この現世にもう彼らがいない、というのは変えようの無い事実なのですが、実はこの現実と時間という空間こそが妄想であり、私達本来の魂が存在する違う次元があると仮定してみると、いろいろ違った視点から物事が見えるようになります。(言葉にすると、やっぱかっとんだ話になるな~)

現実だと信じている、信じさせているのは私達の中のエゴであり、実は本来の姿、魂の存在を忘れているだけなんだ、と考えると、新しい意識レベルのドアが開くような気がします。

う~ん、うまく伝えられないな。。。

投稿: Aiko | 2011年3月26日 (土) 22時48分

mokoさん

いい言葉ですね。私も常の最期の時を生きているつもりで、時間を過ごしたいなーと思います。
でもそれはシリアスになるわけではなくて、逆にその瞬間を楽しまなきゃ損みたいな、、、感じです。

自分で、今日は悲しみたい、癒しが必要だと感じるときは思いっきり泣く日にしたり、でもそうでないときは、思い切り楽しんでいます。結局は一瞬一瞬自分でどう生きるか選択して生きていくのですから。

犠牲者にはなりたくない、と思うのです。そして言い訳しながら生きるのは嫌。

ロスばかりでなく、ロスして得たもの、ゲインをエンジョイしましょう。得たものは実は失ったものと同等の価値があると思っています。何を得るかは、それぞれ違うのかもしれないけれど、、、こんな風に、心を開いてサポートしあえるネットワークだって大きなゲインの一つですよね。

投稿: Aiko | 2011年3月26日 (土) 23時06分

こんばんは。はじめまして。
ずっと読ませていただいています。

今年の2月、夫を癌で亡くしました。

この神との対話の一節。私にとってはとても救いとなる文章です。

こういう本を、もっと早くから読んでいたら、夫の「死」との向き合い方が違ったのにと思います。

愛子さんのブログ記事、どれもいつも、私にとっては心が強くなるような記事ばかりです。ありがとうございます。

投稿: シャドー | 2011年4月 4日 (月) 00時25分

シャドーさん

コメントありがとうございます。
今年の2月ですか、、、まだまだお辛いでしょう。
これからも、たくさん大波、小波がやってきます。
それでも少しずつ波は小さくなってゆくと思います。

なんて言いつつ、私も1年を越してもまだたまに来る大波に打たれています。

シャドーさんの心の平和をお祈りしています。

投稿: Aiko | 2011年4月 4日 (月) 08時44分

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