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2011年10月14日 (金)

一緒に泣いてくれるだけでいい

息子の同級生(中1)の女の子のお母さんが亡くなった。

母娘だけの家庭と理解している。

13歳のその子の気持ちを考えると、、、言葉にならない。

自殺だという噂が流れ、その子は She looks fine. 元気そうだよ。と聞く。

元気そう?

そう、外からは見えない内側の苦しみ。

私もよく言われた言葉に、

強いですね。

元気そうですね。

??? って感じ。

どこがですか?

肉体がバラバラになるような痛みと苦痛を抱えて、狂気じみた世間の時の流れの中で、必死で外側の皮の中に、バラバラの肉片をまとめて血を流しながら歩いているのに、、、

外から見るときわめて普通らしい。

無理に機会を作る必要はないけれど、もし話す機会があるならば、声をかけてあげられたらいいね、と息子に話した。

つらいときは、苦しみを理解してくれる人がいると思えるだけで救われる。

一緒に泣いてくれるだけで救われる、から。。。

グロースなことを書きましたが、お陰様で最近は肉片は一つにまとまっております!

多分ね、死はあまりにも非日常で、ほとんどの方はどう声をかけていいか分からないのだと思います。

“なんて声をかけたらいいのだろう?”というその気持ちだけで十分です。

いつもありがとう!!

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夫の死」カテゴリの記事

コメント

”何か声をかけてあげたいけど、何て言っていいのかわからない・・・”と思いながら、AIKOさんを見守ってきた一人です。わたし達は皆、各々の旅路を、様々な課題に取り組みながら歩いているのですね。わたしがAIKOさんの心の痛みを完全に理解することは不可能だけれど、AIKOさんの笑顔や幸せは、自分のことのように嬉しいです。 シドニーから愛を送ります☆

投稿: miel | 2011年10月15日 (土) 16時10分

mielさん

ありがとうございます!確かに受け取りましたよ。
愛たくさんもらってます。あちら側からもこちら側からもね、、、

たった一つのとってもシンプルなことを思い出すために、様々な旅が用意されているんですね。

投稿: Aiko | 2011年10月15日 (土) 21時45分

はじめまして。
突然ですが、コメントさせて頂きます。

"つらいときは、苦しみを理解してくれる人がいると思えるだけで救われる。一緒に泣いてくれるだけで救われる"

私は母を9歳で亡くしました。
亡くした次の日から学校でイジメにあいました。
家でも兄からのイジメにあいました。
しかもかなり長い間。
それにより人をうまく信じることが出来なくなりました。
そして、苦しみを理解してくれる人にまで"同情は要らない"とまで思うようになってしまいました。
人の気持ちを理解するのは難しいですね。
ブログいつも読ませて頂いていますが、AIKOさんは前向きで素晴らしいです。
これからも応援させて下さい。

失礼いたしました。

投稿: 新米 | 2011年10月18日 (火) 12時59分

新米さん

コメントありがとうございます。
9歳という小さな時にお母様を亡くされたとは、どんなに悲しく寂しかっただろうと想像にも及びません。
我が家の子供達もまわりの友達に理解があったとは言い難く、数ヶ月してメソメソしていた次女に友達からいい加減に立ち直りなさいよ!みたいなことを言われとてもつらい思いをしたようです。(次女も理解してくれる友達は誰もいない、と言います)

大人でも理解できないのですから、まわりの友達にこの苦しみを理解しろと言っても無理なのですよね。お兄様もとてもつらく悲しかったのでしょうね。(もちろんそれをイジメの理由にして正当化することはできませんが)

心の奥底にあるピースフルな光を大切にしてくださいね。大丈夫です。分かってくれる人も見ていてくれる人もいるのです。扉を開いてそれを探すだけ。たくさんの抵抗があって、それが難しいんですが。。。

瞑想なんてしますか?抵抗がなければ数分静かに目を閉じて、ゆっくり呼吸をし、お母様と一緒に9歳の新米さんを迎えに行ってあげてください。今なら助けてあげられます。
新米さんの心の光が大きく灯りますように。よい一日を。

投稿: Aiko | 2011年10月19日 (水) 19時59分

2回目の訪問です、こんばんは。
今日はお礼を言いに来たのですが・・・、この記事を読んで
ああやはり同じような気持ちなのかな・・と思いました。
毎日が変わらないのに、夫だけが消えているこの異常な世界で私も分裂しています。
普通に家事をしたり仕事をしたり家族や友達と笑う自分と、
夫がいない無意味な世界に慟哭したり、夫がいた時のように空間へ話しかける自分。

紹介されていたエリザベス・キューブラー・ロスの「永遠の別れ」を読みました。その他にも何冊か。
20年以上前に、彼女の本は死の受容プロセスを学ぶために読んでいて(私は元看護師)今も本棚にあります。
でも今頃、自分の悲嘆を癒すプロセスを学ぶために再び彼女の著書と出会うことになるとは思いもよらなかった。

最近読んだのはジョーン・ディディオンの「悲しみにある者」という本です。もう読まれているでしょうか。
夫を亡くした者にしかわからない思考が書かれていました。
でも悲嘆は本当に個人のものですね。それぞれの経験に他ならないと思いました。

本を読むきっかけをありがとうございます。
でも以前は本を読めば満たされたけれど、今は何をもってしてもぽっかりと欠けたままですが。
いつになったらこの欠けてしまった部分が埋まるのか、早く時間が過ぎてくれればいい、それ以外方法がないって今は思います。
数年先に私たちは何を思ってるでしょうか。
明日がある保証もないのに、生きるって先を考えないわけにはいかないからおかしいですね。
私たち、頑張ってればいつかまた夫に会えるのかな。長々とごめんなさい。ブログを綴って下さってありがとう。

投稿: でいだらぽんち | 2011年10月26日 (水) 00時05分

でいだらぼんちさん

わざわざお礼を言いに来てくださってありがとう。
私のしょーもないつぶやきが少しでもどなたかのお役にたつなら、こんなに嬉しいことはありません。でも実のところ、この受け止めがたい現実を背中にしょって生き続けなければならない苦しみを分かち合える人を私も探し続けているのかもしれません。

こんな形で世界中にポツポツと同じ思いを抱えている人と繋がれるということはすごいことだと思います。
こちらこそ共有してくださってありがとう。

ジョーン ディディオンの"悲しみにある者" はまさに今読んでいます!ドイツにいる同志から海を越えて届きました。
これが読み進めるたびに、その時の情景と感情が鮮明に蘇るので、チビチビと少しずつ進んでいます。
読み終えたらまた感想書きますね。

これからもよろしくお願いします。
今日もよい一日を。。。

投稿: Aiko | 2011年10月26日 (水) 06時52分

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