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2014年2月 8日 (土)

2010年1月22日  冷たい体

私の中で、まだまだ吐き出さなければいけない感情が眠っている。たくさんの想いや、当時口に出す事ができなかったこと、思い切って出す作業をします。続くかもしれないし、続かないかもしれない。でも試してみます。

不快な部分があるかもしれないので、暗いのが苦手な方はスルーしてくださいませ。

そしてこんなことを書いているから私は毎日暗く生きているわけではなく、これは私の100種類の顔の一部であることをご理解くださいね。心配無用です(笑)

2010年1月22日メモリアルサービス

想像通り、夫の体は冷蔵庫から出して来たように冷たかった。

血色がなかったけれど、夫そのものだった。

見覚えのある顔、大好きな手、お気に入りのシャツ、処置のために少し剃られた髪、傷の部分は私の依頼通り絆創膏が当てられていた。

飛びついて離したくなくなってしまうのではないか、と心配していた。

飛びついたけれども、そこに魂はなかった。

夫そのものの、その体は、空っぽだった。

魂の消えた空っぽの体は、夫であって、夫ではなかった。

執着心は全くなかった。

私の求めている物、人、何か、はそこには無かったから。

彼の姿をした入れ物だ。

とても不思議なことだ。

よく理解できなかった。

でもちょっともったいない気持ちはあったけど、仕方なかった。

数日後、夫は灰になって帰って来た。

“夫” が入った、夫の入れ物を見る事、触る事は、もうできなくなった。

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夫の死」カテゴリの記事

コメント

こんばんは、コメントさせて頂くのは
久しぶりです。

夫、義父、伯母を看取った時のことですが
温かかった体が冷えていくのを、手を握って
過ごしました。

生命の器は数時間をかけて、ゆっくり冷えて
いきました。
皮膚の弾力が失われ、ドライアイスを当てないと
その色も変わっていってしまう。

夫が、義父が、伯母が私の知らない、遠い存在に
なっていってしまうことに、言葉では顕せない
寂しさのようなもの、を感じました。

伯母の火葬の後、素手で遺骨に触れるという
稀有な体験をしました。頭蓋骨の部分だけ
遺族が素手で骨壷に収めるというもので。

初めて触れた遺骨は、伯母の頭頂部のもの
でしたが、素焼きの皿のような感触でした。
歯のようにエナメル質で守られてはいないから
少しざらついた感じの…

なんでこんなこと書いてるのかな?と自分でも
思うのですが、旦那様の死に際した時の
Aikoさんの心の中のことが、本当に水のように
さらさらと私の中に流れ込んできたので…

思い出しました。あの日あの時のこと。
なにひとつ忘れてはいないけれど、今はもう
そのことでは苦しんではいません。

うまく書けないな…ごめんなさい。

投稿: moko. | 2014年2月 9日 (日) 21時09分

mokoさん

シェアしてくれてありがとう。
この辺の感覚は、ちょっと特殊ですよね〜。
体験しないとわからないかな、ってちょっと優越感にひたったりして。
嬉しいことでも何でもないんだけど。。。

当時はあちら側とこちら側の境の不思議な空間にいることが多かったな〜と思います。
そこは音がなくて、ふわふわしていて、不思議な空間。
最近あまり行けません。

この世で起こる現実問題に振り回されすぎかな?
少し楽になりたいです。

当時からmokoさんに助けられてきました。
いつもありがとうございます。

投稿: Aiko | 2014年2月10日 (月) 13時26分

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