カテゴリー「経歴」の24件の記事

2009年12月28日 (月)

就職

久しぶりに経歴の続きを書こうと思います。

就職活動を始めたのは、大学卒業間近の2004年の終わりでした。

会計士を目指す方はね~、本当は在学中からのアルバイトをお勧めします。やはりコネクションの業界でして、卒業してからポンっと仕事見つけるのは大変です。

ちらほらと履歴書を送りながら、就職の大変さを感じ初めているころ、大学の斡旋で得たホームページの翻訳の仕事などをしていました。

大学の就職に関する説明会やネットワーキングの機会にも頑張って参加していました。ネットワーキングの時に地元の会計事務所のオーナーなどと話せる機会があったので、積極的に話をして、2件ほど面接を取り付けました。

履歴書をいくら出しても、残念ながら名前で落とされますからね。やはり直接会うのが一番だと実感しました。直接話して、あ~、外国人だけど話せるヤツなんだ、と思わせるしか手はないのです。だって忙しいビジネスオーナーがわざわざ外国人を面接に呼んで英語力を確かめている時間はありませんからね。

しかし~面接に行きましたが、仕事は取れませんでした。

理由はズバリ一つです。私はパートタイムの仕事を探していたんです。まだ子供達が3人小学生でしたから、とてもフルタイムでは働けなかったのです。

新卒でパートタイムなんて誰が考えても、ありえないですよね。。。でも!私はあきらめませんでした。

翻訳の仕事もおもしろいな、などと考えながらも新聞の求人欄には注目してました。

そんな時、Japanese Qualified Accountant (日本人公認会計士) 募集の記事が!!

卒業したてで、公認会計士には程遠かったんですが、そこにエラそうに申し込んだ強気の私!履歴書をメールで送り、次の日に面接に来ないか?と連絡がありました。

これが、かの有名な (笑) BC Accountants だったのです。

たまたま日本人マネージャーの退職に伴い彼の後任を募集していたのですが、他にも辞めるスタッフがいて、そちらのスタッフの後任に決まりました。

時間も子供の学校に合わせて OKで、週25時間のパートタイムで就職が決まったのです。

条件はめちゃくちゃ悪かったですよ (笑) でもこの業界、経験あってナンボですからね。とにかくつかんだチャンスはモノにしなきゃと思ったわけです。

職場の環境は、、、かなり劣悪?でした。しっかりしたトレーニングシステムもなく、初日だけタックスリターンのプログラムの使い方を教えてもらい、後は自分でやって~、的な。。。

トレーニングもなくいきなりBASの準備をして!と言われ、四苦八苦準備をすると、やり方が違~う!と怒られ。。。超Rude な韓国人会計士にムカつきまくりでした。

ムカつくと頑張る私、くっそ~と奮起して頑張りましたね。25時間仕事して、家で多分同じ時間くらい勉強、リサーチしまくりました。セミナーなどにも実費で参加し、とにかく頑張って仕事しました。(若かったのね、あの頃、、、)

普通はね、下っ端として下積みして仕事を覚えていくのでしょうが、最初に仕事を始めた時点でマネージャーが去ってしまったので、いきなりお客様の対応と直接的な仕事をすることになり、それをキチンとチェックしてくれる体制ができておらず、、、、今思うと恐ろしい仕事だったなあ、と感じます。

そのお陰で、最初から間違えられないという超緊張感のもと、リサーチや情報収集を徹底的にするようになりました。同僚などに聞いて判断した内容が間違っていたりしたこともあり、人に聞いて判断する、ということは危険だと知りました。最後に自分で判断したら自分の責任なのです。誰かがこう言ったから、は通用しません。

疑問点はATO国税局に直接聞いて、それを法律の条文から再度確認し、そして判断する。という癖がつきました。

すごいプレッシャーの中での仕事でしたが、普通に新人として仕事をしていたら何年もかかっていた知識を随分早く身に付けることができたと思っています。

とってもやりがいがあり、またお客様と接することが楽しくて、無我夢中で働いていました。今思うと本当にひどい待遇で、よく我慢してたな、、と思いますが、仕事自体が楽しかったので、当時は苦にならなかったんですよね。そして毎年ご指名で来て下さるお客様が増えると、本当に嬉しくて、、、、待遇なんてどうでもいいわ~って感じでした。

私にタックスアカウンタントとしての仕事のおもしろさ、を教えてくれた環境でした。

大きな企業の一部的な仕事よりも、個人としてのお付き合いができて、最初のステップから税申告が終わるまでの一貫した仕事を楽しいと感じるようになり、自分の方向性も見えてきました。

こうして私の会計士としての仕事が始まったわけです。

大きな事務所に憧れたりもしましたが、大きな事務所へ就職してたら今の私はなかっただろうな。。。

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2009年9月23日 (水)

引越し遍歴

突然引越しをすることになりました!

引越し業者になれるほど、引越しはお手の物です。オーストラリアに来てから、何度目?

  1. McKeller in ACT
  2. Broadbeach in QLD
  3. Merrimack in QLD
  4. Kaleen in ACT
  5. Centenary Park in FNQLD
  6. Clifton Beach in FNQLD
  7. Palm Cove in FNQLD
  8. Clifton Beach in FNQLD
  9. Arandel in QLD
  10. Helensvale in QLD
  11. Hope Island in QLD
  12. Upper Coomera in QLD
  13. Hope Island in QLD
  14. Hope Island in QLD (New)

きゃ~~~~、14回目!信じられませんね。引越し貧乏とは私達のことですよ。

こんなに仕事が忙しい状態である日突然引越しを決める私達って、、、?昔はこうやって、ある日突然夫が他州へ引っ越すぞ、と言う度に苦しみましたが、もうへっちゃらです。大分B型に慣れてきました。結構ワクワクしている自分がいたりします。久々のエキサイティングな出来事。パッキングや掃除は大変だけど、いらないものが片付くんですよね。たまには必要です。

今回も賃貸ですので、まだまだ続きます。私達の引越し遍歴。次はどこへ行くのかしら~?

ちなみに今回の理由の一つはペットです。とうとうワンちゃんデビューです。長い間の次女との約束だったので。

ご縁があればそのうち愛くるしいワンちゃんをご紹介いたします。

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2009年8月19日 (水)

会計士になった理由

今日は久々に経歴?の続きを。

なぜ会計士を目指したのか?昔の経歴にも書きましたが、私はバブル時代、男女雇用均等法が施行されたとはいえ、現実にはまだまだ男尊女卑が色濃く残る時代に日本で仕事をしていました。

ず~っと男に生まれたかったと思っていたくらいです。(今でもね!) それで外資系に就職を目指し、20歳の時から英会話学校に通っていたんですが、莫大なお金を費やして英語勉強をしてもいったいいつになったら英語で仕事ができるレベルになれるのかしら~?と疑問を持ち始め、その他にもいろいろとまわりの影響で流されてきてしまった自分の人生に終止符を打ち、自分の力で自分のやりたいことをやろう、と決心してオーストラリア語学留学を決意したわけです。23歳の時です。

で、その後の流れも以前経歴に書いております。

外国での生活って憧れでしたし、自由があり、女性の権限が守られているこの国はとても暮らしやすく、たくさんの恩恵を受けてきました。

でも!所詮私達は Migrant 移民者なんですよね。オーストラリア生活が長くなるうちに、現実問題として移民としての弊害というか、問題も感じるようになりました。差別も目の見えないレベルで多くありますしね。。。 感じないわ~という方はとてもラッキーなことだと思います。感じ方も人それぞれ違いますし、、、

外資系バリキャリを目指して渡豪したわりには、気がつくと結婚して子供を持つ身。自分の夢は据え置きになっていました。

幸い女性が仕事をすることや、自分の道を進むことを勧めてくれるような夫を持ったため、喜んで大学進学に協力してくれましたし (仕方なく?!)、なんでもサポートしてくれました。

会計士を選んだのは、昔銀行で働いていたので多少金融の知識があったこと、またこちらの銀行勤務で自分の知識が生かせたこと、そしてプロフェッショナルな資格を得て、自立したいと思ったことが理由です。

日本ほどの肩書き社会ではないかもしれませんが、移民であるというハンディを負いながらこの国で自立するには、ローカルな人からも認められる資格があれば、と思ったのです。 (でも移民であることをハンディと思ってしまうのが私の弱点かもね。元来負けず嫌いなので、、、)

苦節7年無事大学を卒業。就職先には問題もありましたが、仕事が見つかっただけでも結構ラッキーだったと思います。就職した後、オーストラリア公認会計士 CPA の勉強も続けてきました。仕事と育児、家事をしながらの勉強は本当に苦しかった~。その後も波乱万丈いろいろありましたが、、、晴れて公認会計士の資格が取れ、気がつけば独立し、毎日忙しく仕事をさせていただいている状況となりました。本当に夫と家族と友人、お客様とオーストラリア社会に感謝しているのです。

ちょっぴり昔を振り返ってしまいました。でもね、この素晴らしい環境に感謝の気持ちは忘れずに生きていきたいな、と思っているのです。

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2009年3月22日 (日)

グリフィス大学 2

経歴の続き、、、(Did you have enough?)

グリフィス大学ゴールドコーストキャンパス時代の思い出話を。

思い出深いのは、マーケティングでした。これはビジネスディグリーの1年目のコアサブジェクトでした。私はご存知のように、JCUのコマースから始めたので、順序が狂ってしまって、大学生活3年目にしてこういう科目をいくつか取らなくてはならず、苦痛でした。

マーケティング自体は面白い科目で、確かにビジネスの学生なら勉強しておいたほうが良い知識ですね。ただビジネスの1年目のコアとあって、学生数は多分300人位。大所帯でした。グループアサイメント (課題) で商品開発とそのマーケティングプランの作成というのがあり、確かくじ引きで決まった私のグループは、17歳のオージー学生、18歳の南ア出身学生、18歳のフィンランド出身学生と中年のオバちゃん(私)でした。

3人ともかなりの美女でみな身長175cm 以上。なんか私が加わるとかなりちぐはぐなグループです。1人を除いては、まじめな学生で、しっかりリサーチし、かなりいい感じのドラフトを仕上げ、教授に相談することになりました。

ここで驚いたのは教授の対応!!若くてきれいだと、こんなに素晴らしい待遇なのかと改めてビックリです。300人もの学生を抱える教授だけに逆に個々の学生と接する機会がないとのことで私達を大歓迎してくれて、アサイメントの内容にもかなりアドバイスをもらい、期限を延長してあげるから内容を充実させてきなさい、とのこと。(ずるーい)

中年の教授の若い学生を見る嬉しそうな目が未だに忘れられませんね。私は後ろでそんなやり取りを冷ややかに傍観していました。。。

このアサイメントは300人の学生中最高得点を得て、なんとか賞という賞までもらってしまいました。私も恩恵を受けましたが、なにか納得いかない感じですよね~。

このアサイメントのウェイトは確か全体の 30% くらいでしたが、マーケティングでの最終成績は確か High Distinction かなりよかったです。

なにかこれだけ聞くと、オーストラリアの大学は若くてきれいだったらいい成績が取れそうだ、と思わせてしまったかしら?そんなことはありませんのでご安心を。成績の付け方はクライテリアが最初から明確にされていて、かなり公平ですよ。ゴマすりだけでは、絶対生き残れません。なんといっても勉強、勉強、また勉強、そしてちょこっとソーシャルスキルがあればプラスアルファにはなるかもしれませんが、、、

不器用な私は大学での勉強は人の3倍した、と自負しております。器用な方は楽に卒業できるのかしら?分かりませんが、日本人の学生さんはやはり現地学生の2倍は努力しないと卒業できないでしょう。頑張りましょう。学生サービス科にはいろいろなサービスがありますので是非有効活用してくださいね。

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2009年3月18日 (水)

グリフィス大学

2001年、ケアンズのジェームスクック大学からゴールドコーストのグリフィス大学へ転校いたしました。私は元来怠け者なので、Correnpondence 通信で大学の勉強をするなんてことは絶対できなかったので、通学圏内のグリフィスに移籍した次第です。

もともと Commerce (経済学部にて会計をメジャー) を取っていましたがグリフィスのゴールドコーストキャンパスではコマースをオファーしていなかったので、Bachelor of Business - International Finance 実は最初はファイナンスを専攻しました。

ふふふ、、、でもこのファイナンスで大きく挫折し (若いときの数学嫌いがここで影響しました!) また、この時最初に取った科目が Financial institutes and instruments 金融機関と金融商品?とでもいいましょうか。。。これは初年度の科目だったんですが、教授がすごいレベルの内容を要求し、他のオージーの学生さんも3年目の他の科目よりタフだった、と言っていた位難しかったんです。トレーディングについても、Trading Room という実際のトレーディングを疑似体験できる施設でいきなりトレーディングセッション!、もう IT系が苦手であり、トレーディングの知識も無かった私には地獄でした。アサイメントは全て、エクセルでのファイナンシャルモデリング!!オージー学生の10倍勉強しても追いつきません。

なんとかパスしましたが、もうこりごり、、、そして素直に会計科に移籍し直しました。Bachelor of Business - Accounting

転校をしたことによりいくつかのコアサブジェクトをリピートしなくてはなりませんでした。何度か交渉を重ね、すでに履修した科目のクレジット (単位の移行) は全て取りましたが、、、というわけで、将来公認会計士を目指す場合は特にコアサブジェクト (必須科目) が多い学部ですが、私の場合は転校の影響でさらに選択科目を取る余裕がありませんでした。

結局、会計のコア以外に取ったのはこのファイナンスと最後に取った心理学、そうなんです。これは全然会計に関係ないのですが、単位を潰すための枠が一つ残り選択は何でもOKだったので、心理学を取りました。でも1番楽しんだかもしれません。とにかく新鮮で、未知のエリアで、、、、英語での生物学の知識がもともと無いので、勉強は大変でしたけどね。

一番心に残っているこの心理学と、別の意味で思い出深いマーケティングの授業についてはまた今度お話します。

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2009年3月12日 (木)

引越し ケアンズからゴールドコーストへ

夢のケアンズライフの続きです。

ケアンズでは夢のような楽しい日々でしたが、夫が仕事を辞めパートナーと独立する決心をしたので、7年ぶりにゴールドコーストに向かうことになりました。

慣れ親しんだ土地を後にするのは悲しかったのですが、新しい生活に向けての希望もありました。空港まで友達が見送ってくれたり、最後まで本当に恵まれたケアンズライフでした。

車での引越しは以前の 3000km キャンベラーケアンズでこりごりでしたので迷わず空のルートで引越しとなりました。もちろん家具などは引越し業者に頼み、車もトランスポートを頼みました。当時飼っていた金魚ちゃん達もエスキー(クーラーボックス)で密閉しての移動です。

久しぶりのゴールドコーストに対してははこれといった感動もなく、適当な賃貸物件を探して落ち着きました。

3年生になった長女は、ゴールドコースト北部のステートスクール (公立小学校) 通い始めたのですが、田舎のカントリースクールだったその学校はこの数年で生徒数が 3倍に増え、通い出してみると校舎も机も椅子も足りない状態でした。3週間目に担任の先生に時間割を教えてください、と言うとまだホリデーから戻ってない子供もいるのでまだ時間割が無い、と言われ愕然としました。

また、パジャマのままのような姿で登校する子を見たり、プレーグラウンドで汚い言葉を使う子供たちを見て、がまんの限界。。。

3校ほど私立校を調べ、清潔で環境が良くて、対応が素晴らしく、そして調べた中では一番授業料の安かった今の学校へ転校させることにしました。Coomera Anglican College です。

新学期4週目でしたが、最初に教室に連れて行くと、先生も生徒達も娘を大歓迎してくれて、娘も新しい学校にすぐ馴染み本当にホッとしたのを覚えています。娘の転校と時期を同じくして名物校長先生 Mr K が赴任してこられたのもラッキーだったと思います。 Mrs K は日本語の先生でご家族で日本にも 2年住んでいらしたことがあり、学校初の日本人家族を暖かく迎えてくださいました。

こうしてゴールドコーストでの生活が始まったのですが、当然夫は新しいビジネスを立ち上げるのに忙しく、母子とも友達ができればと思い、長女を日本語補修校の1年生に入学させ、次女は幼稚部に通うことになりました。(毎週土曜日午前中の授業です)

しかし、もうご存知のように長女も次女も私も!日本文化?に馴染むことができず、、、3人揃ってドロップアウトした次第です。

こうして最初からゴールドコーストにはイマイチ馴染めずにいたわけです。あまり思い出したくない時代ですね。

次回は私の転校先である、グリフィス大学での思い出話でもしようかと思います。

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2009年3月 5日 (木)

夢のケアンズライフ

経歴の続きです。

1998年、第3子を出産した私は、翌年から大学に復帰しました。当時長女は近くの私立校のプレップ(幼稚部) に通っており、前年度デイケア (保育園) にどうしても馴染めなかった次女と長男は Family Day Care (認可を受けた保母さんが自宅で少人数の保育をしてくれるシステム) に週2日ほど預けました。

Family Day Care のお宅は自宅ガレージをすべて改築し、おもちゃや本もたくさんあって、お庭には幼稚園顔負けの遊具がそろっていました。その保育士さんは4人までしか預からず、まだ1歳程度のうちの息子も安心して預けられました。とにかく家族みたいな環境で、うちの下2人の子と、他のご家族のやはり姉と弟の4人を仲良く遊ばせてくださいました。

この規模でもしっかり認可を受けていますので、働くお母さんや、私のように勉強中のお母さんの保育費にも政府の補助が出ていました。

よい環境に恵まれ、安心して勉強を続けることができました。とはいっても家族優先ですから、大学はパートタイムで通常1学期4科目履修するところを2科目ずつ進めていきました。

ケアンズのジェームスクック大学スミスフィールドキャンパスは、無料で止められる駐車場、新しい設備、それに私のような年配?の学生が多く、同胞もたくさんできてとても有意義で楽しかった記憶があります。

大学のない日は、日本人ママさんたちの子連れランチ会や、公園での持ち寄りパーティーや、たまには子供たちをお父さんに預けてのディナーなど、本当に楽しい思い出がたくさんです。子供を寝かしつけてから友人と好きな映画を見に行ったり、このころはゴルフも始めたりして、ヘタクソでしたがケアンズ有数のコースでラウンドしたり、、、お値段も安かったし、主婦でもゴルフを楽しめてしまう環境だったのです。

充実していて本当に楽しい日々でした。ケアンズは素晴らしい環境に恵まれ、安心して暮らせる都市(?)です。夏の数ヶ月は暑さとサイクロンに苦労しますが、4月~10月は本当にさわやかでゴルフ日和が続きます。

初めての家を建てた場所でもあったので、私達にとっては第2のホームタウン、今でもなつかしく思い出します。

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2009年2月23日 (月)

久しぶりの、、、

すっかりご無沙汰してしまった私の経歴、、、私の18歳からのウン十年をたどって書いています。

前回は確かケアンズで29歳妊婦で大学生になった話し、、、ハイ、3人目をお腹に勉強を始めました。そして充実した1学期終了後、第3子出産のため1学期休学。

3人目ともなりますと慣れたもので、十分入院生活を満喫してきました、という感じです。実際は私の場合、出産にかかった時間は1人目、2人目、3人目と長くなっていきましたので、3人目が一番時間がかかり、まいったな~、こんなに時間がかかるなんてー、いい加減にもう出てきてくれないかな~、という気持ちでした。

3人目は男の子だったので、日本の両家族は大喜びでしたが、私自身は実はオムツを変えるたびに、ウッ!とひるんでしまう、、、慣れるのにかなり時間がかかったものです。

ケアンズのカルバリーホスピタル (現ケアンズプライベートホスピタル) での出産でした。この子はよく寝てくれる親思いの子で、もう最後であろう私の出産入院生活を十分満喫させてくれました。素晴らしい食事、とはいいませんが、午前と午後のおやつを含め、調理したものを出してもらえることほど、主婦にとって嬉しいことはありません。上げ膳据え膳っていいものですね。。。

泣き続ける次女の時は食事も喉を通りませんでしたが、ひたすらスヤスヤと眠る長男、エライよ君は!ずっと入院していたいくらいでした。残念ながらそうもいかなかったので、確か5泊くらいして帰りましたが、オーストラリアではこれは長いです。早い人は翌日帰りますからねー。

ただ人生そう甘くはないもので、出産時に長女と次女を見てもらうのに夫の両親がきてくれていましたので、退院その日から、私がお世話しなければならいない家族は総勢7人!洗濯、掃除、食事、お土産ショッピングのお付き合い、、、という日々が待っていました。

無事に両親を日本へ送り出し、5人家族としての生活が始まりました。かわいい弟の出現を一番喜んだのは次女、まだ1歳8ヶ月の彼女の献身的なお世話といったら!自分とそうサイズの変わらない巨大なベイビーちゃんを抱き、ミルクを与え、オムツを変え、、、まさにチーママ。

当時まだまだ次女に手を焼いていましたが、3人目の息子は本当に手がかからず (ほったらかし、、、?) にぎやかで楽しい日々が始まりました。

というわけで、次回いつになることやら、、、幼子3人抱えての大学生活に続きます。

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2009年1月30日 (金)

キャンベラでのホームステイ

なぜか昨夜突然キャンベラ時代を思い出していました。

23歳にしてオーストラリアへ語学留学した私は (随分昔のはなし!) キャンベラ大学の薦めるホステルというところへ滞在し、それから大学寮に入るか考えようと思っていました。23歳にもなっていたし、あまりホームステイをしたいとは思っていませんでした。

しかしこのホステル (Gowrie Hostel) キャンベラのシビックから目抜き通りのノースボーンアベニューを15分くらい歩いたところにあります。確か当時は1泊 $30 安くて素晴らしいけど、恐ろしく不快な宿泊施設でした。

翌日の朝、あ~いい天気だ!と外の空気を吸い込む私はいきなりホステルの前でマグパイ (人を襲う鳥!) に襲われ、後頭部から出血、、、、今は笑って話せますが、当時はそんな鳥がいるとも知らず、どうして~ sweat02 と泣きたくなりました。

朝ごはん、一応ビュッフェスタイルの朝食でしたが、鉄のように硬く干からびたベーコン、真っ黒なトーストに妙な味のベイクドビーンズ、確かジュースくらいしか胃に入りませんでした。

翌日からは同じタームから英語コースを申し込んだ日本人の女の子と合流し、ちょっとホッとしましたが、彼女の部屋ではが大発生、ホステルの人は何もしてくれず一晩で通り向かいの素敵なモーテルに移っていきました。

翌日出かけている間に、少しだけ持ってきていたアクセサリー類がホステルの部屋から消えていました。ピアス数個と指輪が2つくらいだったか、高価なものではありませんでしたがこれもかなりショックでした。今考えるとそんなものを机の上に置いていった私がアホだったのですが、、、

大学の学生寮は空きがなく、一日も早くここを出たいという欲求から、最後の手段ホームステイを申し込みました。すぐオーストラリア人の旦那とフィリピン人の奥さんと子供が一人という家族を紹介してもらいお世話になることになりました。

フィリピン人の奥さんの英語は比較的理解できたのですが、オージーアクセントの強い旦那の英語はまるで分からずコミュニケーションができませんでした。 エーユーウァッシイングニャーウ?はっ?エーユーウァーッシーングニャーーウ?えっ?ニャーウって何?聞いたことの無い単語。。。。真剣にそう思いました。 (ちなみにニャーウは Now です)

私のために彼がゆっくり話せば話すほど単語が妙に伸びてしまうので、会話は迷宮入りするばかりでした。当時度胸のなかった私は彼と話すのが怖く、はっきり言って彼をさけていました。

結局そのお宅には 6ヶ月ほどお世話になったのですが、彼らが出張で2ヶ月ほど家を空けていたり、私が姉の結婚式で日本に帰ったりしたので、事実上3ヶ月くらいしか一緒に生活はしませんでした。

ホームステイの美談がよく語られますが、私は圧倒的に失敗例の方が多いのではと思います。日本って人の家にお世話になる習慣がないので、大きなカルチャーギャップを感じました。そう大体お世話するのが日本ですが、こっちは適当に共同生活、みたいな感じなのかしら?

自分の子供たちを見ていると、友達の家に泊まりにいくことが多く、泊まりに来ることも多く、そこのお母さんと気があったりすると何週間いてもいいわよ~、って言われたり、友達のお宅のサマーホリデーに2週間連れて行ってもらっちゃたり、、、ですから子供の頃から共同生活に慣れ親しんでいるんだなあ、と感じます。

日本では親戚が泊まるってことがあってもせいぜい数日ですからね、お客様としておもてなしし、会話を弾ませって気を使いますが、こちらの友人が泊まったときに会話を作らなきゃと思い、どこで生まれたの?仕事は何をしているの?家族はどこにいるの?ととても日本的な質問を重ね Job Interview 面接受けてるみたいだ、といわれたことがありました。。。スミマセン。

長々と書いてしまいましたが、私の若輩時代の痛~い思い出の一つです。ホームステイをしようと思っている方、あまり気張らず自然体で、楽しんでください。(説得力なし)

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2008年12月28日 (日)

ケアンズ大学生生活

久々に経歴の続きです。

晴れて妊娠中の大学生となった私はパートタイムで週に2日ほど娘2人をデイケアセンターに預け、ジェームスクック大学、ケアンズキャンパスに通いました。

ケアンズ北部に住んでいたのでスミスフィールドのキャンパスまで車で5分ほどでしたし、できたばかりの校舎に広~い無料パーキング、ケアンズキャンパスは Mature Students (私のように社会を経験した後勉強に戻った学生) も多く、とても快適でした。

まず、ブランクのある数学の復習コースを取らねばならず高校2年生で数学を捨てた私にとっては恐怖の科目でした。ところが素晴らしい教授に恵まれ、あんなに苦労した数学を丁寧にわかりやすく教えてくれ、なぜ昔数学が苦手だったかわからないと感じるほど数学の科目を楽しみました。数学に限りませんが、英語で習った方がシンプルなものって結構あります。

もう一つは Economics 経済でした。これも実際に社会で見てきたことを論理だてて理解することができたので、楽しかったし勉強になりました。

ANZ銀行に勤めている際に出会った知人もたまたま大学で勉強を始めていて、偶然経済の科目で出会いました。ちょっと近寄りがたかった彼女を知るきっかけとなり、実は今も私の大切なスピリチュアルフレンドです。

新しいことを学べることのありがたさ、いろいろな人と出会える喜び、大学は私にとってとてもスペシャルで大切な場所でした。

2学期目は第3子出産を控えていましたので半年休学しました。

第1子と第2子の出産について以前書きましたが、3人目ともなると特に思い出もなく、、、なんて息子に失礼ですね。思い出しながら次回は第3子出産に続けたいと思います。

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