カテゴリー「夫の死」の71件の記事

2014年11月12日 (水)

サイキックと心霊写真

久しぶりの更新です!

昨夜は久々にエキサイティングなお出かけでした。もう一年も前からチケットを取ってあった、世界的に有名なサイキックである ジョン・エドワード のショーに行ってまいりました。

私がサイキックの世界に興味を持ち出したのは随分前ですが、2008年に行った デボラ・ウェバー さんのサイキックショーで、なんとなく~な感覚が、確信に変わり、ひそかに(?)研究を重ねています。。。 その時の記事はこちら

ジョンのことも多分同じころにアメリカの Crossing Over というTV番組を偶然見たことで、ずっと私の心の中に残っていたサイキックでした。

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1500名の会場はギッシリでしたよ。デボラのショーは長女と一緒に行きましたが、今回は次女と一緒でした。彼女にとっても本当に大切なメッセージがたくさんでした。一緒に行けてよかった。

ガイドさんのチームは常に一緒に在ること。困ったときは助けを求めればいい、たったそれだけのことですが、こういうエネルギーの中で聞くと、若い人達にも大きな意味を持ったメッセージになりますね。

それでどうだったの? と息子も興味津々でしたので、次は息子を連れて行きたいです。

たっくさんのスピリッツからのメッセージを受け取ってきました。

そして2011年に亡夫のお墓に写った彼の顔が、やはり大きな意味があってのメッセージだったと感じました。ずっと悩んできましたが、その写真を公開します。

まあ、賛否両輪あると思いますが、それぞれの方が感じたことを、それぞれ受け止めてもらえればいいかな~、、、、と思います。

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2011年1月、亡夫の2回忌の際に長女が撮影した写真です。

墓石の中央左に彼の顔が写っています。

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夫の顔を知らないという方のために、遺影の写真と見比べてみてください。

墓石の前に居た人が写っているんじゃないか?とみんなが思いますよね?

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こちらの写真は先日2014年10月に私が撮影したものです。移っているのはサングラスをかけて i Phone を持った私です。墓石から1メートル足らずの正面に立って、このサイズですから、最初の写真に誰かの顔が写るには、墓石の間近に立っていないと無理だということですね。

そして、あの時、お墓参りに行ったのは、私と子供達だけでしたし、他に女性のお墓参りをしている人がいただけでした。

墓石の写真を撮るなんてけしからん、とか、夫の許可なく、、、と言った思いを抱く方もいるかと思いましたが、この写真は、私達を絶望から救い、希望を与えてくれました。

義理の姉達や、義母も、これを見て本当に喜んでくれたんです。

亡霊でもいいから会いたい、というほど愛している人だったら、どんな形でも見えれば嬉しいですよね。

こんなイタズラをしてくれた亡夫に感謝です。

最近進路について悩んでいた次女ちゃんの夢にも登場し、とても大切な言葉をくれたようですし、、、まあ、彼はいつでも、どこでも、この辺りにいるのですわ。。。(笑)

読んでくださってありがとう。

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私もこれを公開するのにかなり勇気が要りましたので、批判、非難コメントはどうかご遠慮くださいませ。

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2014年9月27日 (土)

メンタルデトックス

先々週だったかな、、、

ちょっとした理由から、私の心が不安で一杯になり、私の心が生み出す鏡の世界。
トニーさんと、あまり意味のない喧嘩をした。
不安と悲しさで一杯になった。
ソールメイトの一人と言われている良恵さんに助けを求める。良恵さ〜ん、ヘルプ求む〜、セッションして〜っと。
お忙しいのに、その夜スカイプセッションをしてくれたんです。。。
彼女の落ち着いた優しい声に導かれ、お話していくうちに、すっごい悲しみが出て来た。
私がコアに抱えているイシュー。トニーさんが悪いんじゃない、私の心の中の問題。
良恵さんにとっても大切なことを気付かせてもらいました。そして、その時すべきこと、私が私らしくあるために大切なこと、や、自分の潜在意識に伝える言葉。。。
セッションの内容もレポートにしてくれるので、改めて見返すことでさらなる気付きもある。
その時、私がしなければいけなかったのは、思い切り泣くこと、トニーさんとのことで何かがあると必ず行き着く気持ち。それは夫のへの断ち切れない想い。悲しみ。怒り。
久々に泣くこと、を自分に許し、とことん泣き続けました。
昼も、夜も、どこでも、泣き続けました。夫を想い、悲しい気持ち、辛い気持ち、私を残したことへの怒り、さよならが言えなかったことへの憤り、一人になってしまった寂しさ、、、、もうとことん悲劇のヒロインになり泣き続けました。
コーヒーを見ても涙が出る。手のついていないお供えを見て涙が出る。空を見て涙が出る。
4日間。。。(笑)
子供達にも、ママは悲しいのよ〜!っと。
ボート部の集まりにも、だってみんなカップルで来るのにママは一人で行きたくない!と吐き出し、、、自分の心の中にあった想い、痛みを吐き出しました。
まだこんなに泣けるなんてね〜、、、自分でもビックリだけど。
ハチャメチャな想い、トニーさんとのことだって、全部夫のせいにして、泣き続けたよ。
5日目の朝起きてみたら、すっきりしていた。
泣き切った感じ。
全部思いを感じて受け止めて、泣いて、叫んで、吐き出したら、最後に残ったのは、、、、
やっぱそのままの自分だった。
そのままの自分は、人を愛したくて、人恋しくて、バカなくらいやっぱり元の自分だった。
そしてやっぱりトニーさんが好きだな、、、と思った。事情や彼がどうであっても。
I love to love and to be loved....
私は、とことん愛したいと思う。
命がいつ終わるかなんて、誰にも分からない。
だったらやっぱり今日愛を伝えたい。今日愛したい。私にできることはそれだけ。
笑っちゃうけど、まだまだ終わっていないグリーフ。
一つ一つ向き合っていくしかない。
しかし良恵さんの愛にあふれるセッション、おすすめです!!
どんなことでもいい、話を聞いてもらうだけで楽になる、そして自分でも思いもよらなかったことに気付くと思います。
良恵さんのブログはこちら から。
彼女のメルマガも素敵ですよ〜。
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2014年9月10日 (水)

そら (宇宙)

先日、素敵な女子会に参加させていただきました。

同年代(?)の女性の方達との会合は本当に楽しいですね。またよく飲み、オープンな方が多く、、、大好きな話題も豊富でとても楽しい時間を過ごして参りました。
その中のお一人の方、もう10年も前から知っている方だったのですが、、、、ご主人を亡くされていたそうで、その時に初めて彼女のお話を伺いました。
このブログを読んでくださったこともあったようで、共感する部分が多いとお話してくださいました。
"その時“ から2年くらいの記憶があまりない、とのこと。
とにかく空を毎日見上げていて、ご主人がどこにいるのかな〜、帰ってこないのかな〜と考えていらっしゃったというお話を聞きました。
う〜ん、、、、涙。
本当に、人間の防衛機能です。
あまりの悲しみとショックで、記憶がないのです。
私は、なにかバルーンの中に入ったような感じで、外界の音も、人の声も、アクションも、すべてがスローモーションのようで、ボワワーンとした世界に生きていたのをよく覚えています。
まるで自分だけの世界の時間の進み方が変わってしまったようでした。
そして、常に そら (宇宙) を見上げていた。
現実はあまり無情で、何も変わらずに動いて、進んでいく時間が許せなくて、、、、
とにかく、夫を探し求めて、、、、、
そんな気持ちを、かなり新鮮に思い出して、涙がこぼれました。
時間が癒してくれる、という言葉は当時の私には、ナイフのように私の胸に突き刺さったけれど、、、、どんな最悪な状況からも、ギフトをもらい、それを大切にすることを学んだ4年半です。
まだまだ痛みは鮮明で、突然どうしようもなく、亡夫を探してしまうこともある。
普段は心に秘めて、楽しく生活しておりますけどね。その悲しみや、傷、があるから、大切な人の大切さも百倍だし、今ある時間もギフトだと思えるし、死の恐怖がないことで、得ているものは大きいなと思う。
全く死の恐怖が本当にないのだろうか??
分かりません。
でも死生観ががらりと変わったことは確かであり、死が自分の大切な大切な一部になったことは事実です。
暗〜い、エントリーですね。。。久々に。(笑)
今夜は思い切り泣こうと思います。
お休みなさい。

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2014年8月 6日 (水)

あの時の情景

楽しい~セーリング記事の途中で書くのはどうかと思ったけれど、、、

私という人間は、すべての人がそうであるように、

たくさんの面からできている。

いろいろな想いが混じりあって、混在している。

トニーさんと楽しく過ごしているからと言って、亡夫への想いが消えたわけではないし、彼の夢を見てしまうこともあるし (いつ見ても嬉しい)、同時に存在していたりして、次元を超えた世界では何でもアリなんだな~と感じることも多々。

子供を置いて出かけるときは必ずお線香を炊き手を合わせ、子供達をよろしく、と頼む。

私をエアリービーチにドロップした後、ボーエン、タウンズビルは強風注意報が出ていて、グルーチェスターパッセージで2日間動けずにいるトニーさんを守ってください、とお願いもしてしまう (笑)

先日、娘と男性看護士さんの話をしていて、亡夫が ICUでお世話になった男性の看護士さんが素晴らしかったよ~という話をしたとたんに、あの日、あの時、あの情景、そしてあの痛みまでもが突然襲ってきた。

娘には正直に話し、しばらく目を瞑り、その情景を見つめ、胸の痛みを感じきった。

記憶ってすごいなあ。。。

一つの想いがたくさんの記憶と繋がっている。

あの日、あの時、あの場所での、情景に繋がっている壮絶な痛みと絶望感。思い出すことは少なくなっても、薄まることも、なくなることもない私の大切な一部。

その時の苦しみまでも、愛おしく、大切に思う自分がいる。

長い間頑張ったね~。

うん、よく頑張っているよ。

そしてこれからも頑張れる。

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2014年4月25日 (金)

ANZAC Day

またやってまいりましたアンザックデー。

オーストラリアの終戦記念日みたいな日なのですが、私にとっては亡夫との結婚記念日になります。

今日は、ビックリこんな素敵なお花をいただいてしまいました~。

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お部屋が明るくなりました~。ありがとう~!!

イースターの4連休は、勉強と仕事で放ってあった子供達と今日はファミリーデーにします。

ムービーナイト!!!

こんないいお天気ですからビーチにでも行きたかったなあ。。。それはまた今度。

またアップデートしますね。

 

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2014年3月 3日 (月)

さよならの先

先日、介護ナースをされている方からの情報で、読み始めた本です。

たくさんの死。

それぞれのストーリー。

一つ一つに号泣です。

でも改めて、そこから得るものの大きさ、残されたものが生きていくためのメッセージ。

壮絶で、壮大で、愛おしく、、、、

私達は一つの命を生きているということ、、、に納得してしまうストーリー。

悲しくて、苦しくて、悔しくて、、、、

でもその中で、それぞれの気付きがあり、本来の愛が育まれ、、、、

なんとも、深いストーリー達です。

どんな方にもお勧めの本です。

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2014年2月 8日 (土)

2010年1月22日  冷たい体

私の中で、まだまだ吐き出さなければいけない感情が眠っている。たくさんの想いや、当時口に出す事ができなかったこと、思い切って出す作業をします。続くかもしれないし、続かないかもしれない。でも試してみます。

不快な部分があるかもしれないので、暗いのが苦手な方はスルーしてくださいませ。

そしてこんなことを書いているから私は毎日暗く生きているわけではなく、これは私の100種類の顔の一部であることをご理解くださいね。心配無用です(笑)

2010年1月22日メモリアルサービス

想像通り、夫の体は冷蔵庫から出して来たように冷たかった。

血色がなかったけれど、夫そのものだった。

見覚えのある顔、大好きな手、お気に入りのシャツ、処置のために少し剃られた髪、傷の部分は私の依頼通り絆創膏が当てられていた。

飛びついて離したくなくなってしまうのではないか、と心配していた。

飛びついたけれども、そこに魂はなかった。

夫そのものの、その体は、空っぽだった。

魂の消えた空っぽの体は、夫であって、夫ではなかった。

執着心は全くなかった。

私の求めている物、人、何か、はそこには無かったから。

彼の姿をした入れ物だ。

とても不思議なことだ。

よく理解できなかった。

でもちょっともったいない気持ちはあったけど、仕方なかった。

数日後、夫は灰になって帰って来た。

“夫” が入った、夫の入れ物を見る事、触る事は、もうできなくなった。

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2014年1月22日 (水)

亡夫の思い出

仕事中にアウトルックのインボックスフォルダに亡夫の名前を見つけた。

胸がズキュンとなった。

中を見てみる。

亡夫からの最後のメールが2010年1月11日だった。

共通のお客様に関する情報メールの転送だったり、歯医者の予約の確認だったり、、、、

まあ、背中合わせで一日中一緒にいたので、これといったドラマティックなメールがあったわけではないけれど、、、

彼からのメールはいつも敬語 (笑) 

久々に彼の文章を読んだ。親しき仲にも礼儀あり、を忘れない、いつも Respect のある人だったと懐かしく思い出した。

懐かしく、思い出す、、、ってところが胸に痛い。

下記は、先日4年のアニバーサリーを迎えた時の心友からのメール。私の記憶はどうしてもあの地獄の6日間を思い出してしまう。

これからは、そこへ行く必要はないのよね。それでも、そこにしがみついて離れようとしない小さな自分の一部があることも事実。

あの夜中のaikoさんからの電話をおもいだし、その時のaikoさんの経験を想像するととても恐ろしいところへ行ってしまいます。

あの時の経験を思い出す必要性はないように思います。

それよりも xxx さんの暖かい存在を思い出すほうが私には意味があります。

別に決まった日がなくてもaikoさんと話をしている中で、xxx さんが出てきて、xxx さんをなつかしく、恋しく思える機会があって嬉しく思います。

aikoさんの中には、きっと xxx さんの子供達やお母さんやお姉さん、good friendsの中にも、いっぱいの彼との思い出が詰まっていて、時々、それを誰かと分かち合うことができるのは、嬉しいことなんだと想像します。

だから、この一週間をあの時の恐ろしい経験を思い出す機会ではなく xxx さんとの思い出を語る機会にすることができるといいですね。

こうして見ると、昔から感じていたけれど、私の心友と亡夫は似ている、と思う。

私の足りない部分は、いつもこうして私の持っていないもの、を持っている人に囲まれて、助けられている。

そして私は彼らの持っていないものを持っている。

ふふふ、、、これも摩訶不思議。

この投稿は、悲しいこと、と受取らずに、嬉しいこと、なんだか胸がちょっと温かくなること、として読んで感じてもらえたら嬉しいと思います。

 

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2014年1月14日 (火)

リネット

今日は古~いママ友のリネットとお茶をしてきました。

長女の高校時代の親友のママさん、元先生で、すごい厳しいお宅で、長女の悪行に電話で苦情を言ってきたりしたとっても苦手なママさんでした(笑)

でもね、夫が亡くなったときに、玄関に立って目に涙を一杯ためていた彼女の姿を今でも覚えています。

私はその時は無感覚状態だったので、“そんなに泣かないで~” みたいな(笑)

その後もね、当時18歳の長女と12歳の息子を家において次女の手術のためにブリスベンの病院に行かなければならないときに何日か分のディナーを作って来てくれたり、、、、

夫と毎日一緒に仕事をしていた私が、毎日一人になってしまった気持ちを一番理解してくれて、話相手にお茶に誘ってくれたりね、、、

一番つらいときに本当に手を差し伸べてくれた人。

お互い忙しくなり、会うのは年に一度か二度になったけど、私にとっては本当の友達。

今日は繋がったね。。。話や気持ちや考えていることが、シンクロする。

彼女もさ、いろいろあるみたいだから、、、、まわりで起きているいろいろなこと、自分のせいにしないように、、、起こるべきことが起こるだけ、自分は自分でいることが大切だと話した。

2人の子供が巣立った彼女ご夫婦は、大きな家を売って、ブリスベンに引っ越すそう。そろそろそういう年代だよね。子供達、友達、にぎやかだった時代は過ぎ、これからどう生きるかを考える時代。

我が家の場合は、もう少し時間があるけれど、実は私の恐怖は “そして誰もいなくなった” 

う~ん、大家族だったのに、気が付いたら誰もいなくなっていそうで怖い。

結婚前は一人が大好きだったのに、今では一人ではどう時間を過ごしていいかわからない。かなりさみしがりやの私です。

夫がいたときは、子供達が巣立って2人の時間が持てるようになるのを、あんなに待ち望んでいたのにな~。

パパとママは、早くあなた達が巣立って2人になるのが待ちきれないわ!というアプローチになるはずだったのにな~。

反則だよね。一人で先に逝ってしまうなんて。。。。

っと、もうそろそろ夫が亡くなり4年を迎える現在の心境でございました。

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2013年12月 5日 (木)

仕事のことや、娘の病気ことや、その他もろもろ、、、、

かなり精神的、肉体的に参っていましたところ、亡夫の夢を久しぶりに見ました。

彼は死んでいなかった。

そして一緒だった。

あったかくて、安心で、幸せな場所。

失ってしまったものをいつも探していた。

同じようにあったかくて、安心で、幸せな場所を、追い求めていた。

同じものはもうない、とわかっていながらね。

夢では、それはやっぱりそこにいつもあるのです。

夢でなくても、それはそこにあるのだと思う。

見えたと思ったら、消えてしまう。

すべては夢だったのだ、と悲嘆にくれる。

逆なんですよね、その真実の世界を信じる勇気を学ぶために、コトが起きる。

時にはこれでもか!!ってくらいに(笑)

そのくらい追い詰められないと、真実を見ようとしないくらい私達は頑固なんですねー。

もっと簡単でもいいのにね、、、って思う。

何度も繰り返しているけれど

何度も痛い目にあっているけれど

それでも、私は信じる道を選ぶ

それだけが私にできること

何度痛い目にあったって、何度打ちのめされたって、それでも瞬きのような一生だから

信じる道にとことん進んだらいいんだ

誰に何言われたって

人がどう思ったって

自分が自分を見つけるためにあるこの時間だから。。。

Sky2

 

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